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つぶやき

(社)北海道栄養士会 福祉栄養士協議会 会長 野城 執

 はじめに
 今回、原稿依頼がメ-ルが舞い込み“はた”と困りました。「つぶやいてくれ」何をつぶやいて良いのか? そこで、栄養士になって38年目チョット振り返ってみようか? 定年まで、あと2年「第二の人生」を迎えるには「良いチャンス」として、捉えてみようと思い「つぶやいて」みようと思いました。

 私が、北海道の田舎高校から東京の栄養士養成校に入学をしたのが、昭和46年4月、まだ「高度成長の日本」「学生運動真っ盛りの日本」でした。東京は、「見る物・着る物・食べるもの」珍しい物が沢山あり、まさに、若者にとっては「憧れの地」で有ったことを記憶しています。
 48年3月卒業、8月に栄養士として札幌の地で就職、ここで初めて「福祉」に携わりました。15歳から55歳前後の成人施設、30食~40食位、今日のように「パソコン」・「電卓」などない時代、栄養価も「エネルギ-2,400・蛋白質80」と施設設置基準で決められていて、年齢・男女・疾病状況など無縁で毎日「ソロバン」と睨めっこ、作成をした献立の「栄養価計算」をしていました。
 その後、「腎疾患・心疾患・若年性の慢性高血圧」など、食事管理が必要な「ご利用者」さまが入所、毎日、本と睨めっこで勉強、「パチパチ」計算数字合わせを行っていたことを思い出します。
 昭和50年代後半、児童施設に転勤、今まで1人職場であったのですが、3人で栄養・給食業務、ここで初めて、体重管理など年齢別・疾病別・身体状況別で栄養算出をおこなったのは、昭和の終わりから平成の初めのことです。しかし、当時は基礎代謝の計算など、電卓・ソロバンでは、なかなか困難で、手間がかかる作業ができなく、ここで初めて、「パソコン」との出会い、今は進化し続ける機械化の最初の一歩が始まったと記憶しています。
 平成の初め「知的障害児施設」への転勤、過去は、「精神薄弱児施設」と言っていましたが、法改正で、呼び名が変更になり、「自閉症児の食事」が結構悩ましい時だと、記憶しています。こだわりが強く、「色・器等」や独特な反応を示し、大変、施設職員として対応に苦労した思い出があります。
 さらに、平成10年頃、赤ん坊の施設への転勤、ここでは早ければ、2週間から3週間で「保護」され、全く母親の温もりを知らない子ども、虐待にあった子どもなど、2歳まで施設暮らしをしている「子ども」達の食事を提供していました。
 「子ども」にとって成長とともに食事を「正常」に取ることは大変重要であり、誕生日には「紅白のおもち」、そして季節折々の行事食、しかし離乳食には大変気を使ったことを記憶しています。結構、保育士さん達と連携を取り、「大事な孫」達と楽しんでいたと思います。
 その後、さらに3カ所の施設を転々とし現在に至っています。
当時施設は「措置」が中心で、栄養士は「栄養士配置基準収入」があり、多少なり施設運営に貢献していたのですが、2000年介護保険制度の導入後、措置施設から契約を中心とした入所利用施設に法改正がされ、業務みあいで「加算」を中心とした収入を得る施設へと変化をしています。
 (社)日本栄養士会としても、厚生労働省に対し「医療保険・介護保険に関する要望書」の提出をしていると聞いています。この間、福祉栄養士協議会としても、不十分では有りますが「保育・介護・障害施設等有効性調査」に協力をしてきました。
 厚生労働省で検討されている介護保険・自立支援法・医療保険の見直しで「管理栄養士業務の評価」がどうなるのか、その上で、管理栄養士・栄養士は何をすべきか、大変興味が有るところです。
 (社)北海道栄養士会も、新しい公益社団法人として生まれ変わるため鋭意検討し準備を進めていますし、今後益々地域に根ざした福祉管理栄養士・栄養士が求められると思われます。私も、現在58歳あと2年“老骨に鞭を打ち”頑張ります。
最後に、“若い管理栄養士・栄養士よ「大志を抱け」!”

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